Cherokee

cherokee
1938年、イギリス出身のバンドリーダー、レイ・ノーブル作曲。アメリカンインディアン、チェロキー族の旋律を使ったラブバラードでしたが、1939年にチャーリー・バーネット楽団が速いテンポで録音してヒットし、以来スタン・ケントンやカウント・ベイシーなどのビッグバンドでも早いテンポで演奏されることが多くなったようです。

日本だったらさしずめ沖縄民謡の旋律を取り入れたって感じかも知れませんが、ちょっと不思議なメロディーです。それをビバップの先駆者チャーリー・パーカーが40年代に取り上げ、以降アート・ペッパー、リー・コニッツなど多くのジャズメンが続いてジャズのスタンダードになりました。なかでも1955年に録音された
クリフォード・ブラウンとマックス・ローチのクインテットによる「スタディ・イン・ブラウン」での演奏は 傑作中の傑作と言われています。ノリに乗ったブラウンのスリリングな演奏は最高!共演のハロルド・ランドのテナー、リッチー・パウエルのピアノもご機嫌にスイングしまくっていて、いつ聴いてもイエーイ!なのです。ボーカルではフルバンドをバックにサラ・ボーンが熱唱しています。




私が学生の頃、まわりのズージャ好きの連中の間でクリフォード・ブラウンの人気はナンバーワンでした。何故かマイルス・デイヴィスよりも ずっと人気がありましたね。

どうしてなんだかその理由がよく分からなかったけれど、今想像してみると、多分、マイルスは誰もが認める天才だったから、逆に学生としては皆がいいというものに 反発しちゃうというか、反体制じゃないけど、何か引いちゃうところがある。あるいはまた、自分達が演奏するのにブラウンの方が手本にしやすいと感じた人が 多かったのかも知れない。つまり、取り入れたいと思うテクニックや共感できる部分がブラウンの方が多かったのも知れない。 勿論、マイルスの演奏はジャズの神様と言われるほどのものであったことは認めるにしても、それだから人気が出るということとは一致しなかった、ということなんでしょうね。

そう、ちょっと(かなり?)違うけど敢えて例えるなら、イチローと新庄。イチローのバッティングはもう天才の域に達していて、普通の人は真似できない。 プロの選手だってあいつだけは別格だよ、みたいな意識を持っちゃっている。一方、新庄は天才ではない。だが、その才能は誰もが認めるところで、 メッツにはなくてはならない存在として活躍している。バッティングのセンスだけでなく、守備でもキラリと光るものを持っている。 たまにポロリとやるところがまた愛嬌で憎めない。そう、一流の才能と、誰からも愛される素質を兼ね備えている点で異論はない。

という訳で、ブラウンがそんな愛嬌のある人物かどうかは分からないけど、少なくともその演奏については多くの人から愛されたということは間違いないと思うのです。

それにしても新庄選手のあの言葉、面白かったですね。「記録を残すのはイチロー、記憶に残るのは僕」






・・・ と、ここまで書いたのが2002年の秋頃だったと思いますけど、その後多くの日本人大リーガーが誕生しました。新庄選手は日本に帰国しましたが日ハムでも彼らしさを発揮して、やはり目立つ存在には変わりないようですね。イチローと松井はやはり国の代表選手だけあってその活躍ぶりは頼もしく、誇りに思います。国の代表といえばWBC。3月21日のキューバとの決勝戦に勝っての優勝は劇的で、私も感動しました。野球は筋書きのないドラマと言いますが、本当にあそこまでいくとは誰も思わなかったのに、みんなの心が王監督のもと一つになって優勝することができたのでしょう。韓国戦のときからずっとテレビ観戦していましたが、何か目に見えない力、勢いみたいなものを感じていました。あの張り詰めた緊張感のなか、全員が潜在的な力を出しきったことが奇跡の優勝へ繋がったのでしょう。久しぶりに感激を味わった瞬間でした。










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