Embraceable You


embraceable you


Embrace me, my sweet embraceable you
Embrace me, you irreplaceable you
Just one look at you
My heart grew tipsy in you
You and you alone bring out the Gypsy in me

I love all, the many charms about you
Above all, I want my arms about you

Don't be a naughty baby
Come to papa, come to papa do!
My sweet embraceable you




作詞アイラ・ガーシュイン、作曲ジョージ・ガーシュインの兄弟による作品です。1930年のミュージカル「ガール・クレイジー」の挿入曲で、主演のジンジャー・ロジャーズが歌っています。その時の伴奏はレッド・ニコルス楽団でしたが、メンバーにはベニー・グッドマン、グレン・ミラー、ジミー・ドーシー、ジーン・クルーパ、ジャック・ティーガーデンなど将来自分のバンドを持って活躍するプレイヤー達が揃っていました。今から思うとずいぶん贅沢なバンドですよね。またこのミュージカルから『But not for me』という曲も挿入歌として歌われ、スタンダードになっています。どちらの曲も≪VERSE≫からコーラスへと続くのですが、『But not for me』が≪VERSE≫から歌われることが多いのに比べ、この曲は≪VERSE≫を省略していきなりコーラスから歌われることが多いようです。

僕を抱きしめておくれ ぎゅっと抱きしめたくなる僕の恋人
君を一目見ただけで僕の心は酔い始める
君だけが僕の自制心を追い払ってくれる
君にはたくさんの魅力があるけれど、その全てが好きだ
おいで、パパのところへ

といった歌詞で、男性版、女性版とそれぞれあるのですが、女性の歌手もほとんどが男性版を歌って最後の”papa”のところだけを”mama”や”baby”あるいは”me”に変えています。しかし内容としては誰もが抱く恋心を素直に歌ったラブ・バラードであるため、この「ガール・クレイジー」だけでなく「ラプソディー・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」「わが心に歌えば」などの映画にも使われ、この時代の”ひっぱりだこの曲”であったということが言えそうです。




さて、この曲を取り上げているアーティストですが、まずボーカルではフランク・シナトラビリー・ホリデイナットキング・コール、ドリス・デイ、サラ・ボーンダイナ・ワシントン、ジミー・スコット、クリス・コナー、ダイアン・リーヴス、クリス・コナーなど大勢の歌手が歌っています。トランペットのチェット・ベイカーもソフトで甘い声を聴かせてくれています。インストでは
チャーリー・パーカーバド・パウエルクロード・ウイリアムソン、オーネット・コールマン、クリフォード・ブラウンバーニー・ケッセルジャッキー・マクリーンなどの演奏がよく知られています。ジャズの範疇に入るかどうか分かりませんが、私の好きなトランペット奏者、クリス・ボッティもこの曲を取り上げています。他にも大勢の歌手、プレイヤーが歌い、演奏しているこの曲ですが、私の好みから言わせていただければ、何といってもサラ・ボーン!ですね。こういうゆったりとした曲を歌わせると、曲の情緒を醸し出すという点で彼女の右に出る人はいないのではないかと思うくらいです。彼女の歌を聴く時はできれば少し暗めの照明で、あたりは何も聞こえないくらいの静かな場所で聞くのがオススメです。あとは美味しいお酒があれば申し分なし。彼女の魅力を100%満喫できること間違いありません。(笑)





この曲も学生時代に演奏した曲の一つで、フルバンドでの重厚なアンサンブルがメロディーの美しさをさらに引き立てていたような、そんな記憶が残っている曲です。当時はこんな歌詞がついていたことも知らずに演奏していましたが、演奏する側としては渡された譜面を見ながらミストーンをせずに吹くのが精一杯。後ノリでリズムに乗って、走るな、もたるな、そこはテヌート、あそこはスタッカート、遅れないで、インテンポでとやたらに注文が付き、優雅な曲とは裏腹に必死の形相で吹いていたものでした。そんな状態を作詞したアイラさんが見たらきっと苦笑しただろうと思いますが、同時に、歌詞と曲が離れていくことに寂しい思いをしたかも知れないと思ったりもします。曲が出来た当時はミュージカルとして誕生したわけですからどちらも無くてはならないものだったはずです。でも時代が経つにつれ演奏、特にアドリブを中心に自由な曲想をモチーフに演奏されることが多くなり、歌詞はボーカルのためだけのものになって演奏家にはそれほど重要視されなくなったきらいがあるような気がします。もちろん曲想を膨らませるということでは不可欠のものであるにせよ、歌手が曲を取り上げるときほどの重みはないかも知れません。そういう意味では、歌手は詞を解釈して自己の世界を作り上げるという演奏家に出来ない部分を受け持つことにより、作詞家が創造した世界をより広げてくれる可能性をもっていると言えるでしょう。なかには後からとって付けたような歌詞の曲もありますが、しかしそういう曲は後から詞が剥がれてしまい、演奏だけの曲になってしまうこともままあります。その点、このガーシュイン兄弟の作品は演奏家からも歌手からも愛され、そして多くの聴き手から愛される素晴らしいものと言えるのではないでしょうか。







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