On Green Dolphin Street
Lover, one lovely day love came planning to stay
Green Dolphin Street supplied the setting
The setting for nights beyond for getting
And though these moments aprt
Memories live in my heart
When I recall the love I found on
I could kiss the ground on Green Dolphin Street
1949年、ブロニスラウ・ケイパーにより同名のMGM映画の主題曲として作曲されました。(邦題は『大地は怒る』) 彼は映画音楽を数多く手がけていますが、この1曲でジャズ・ファンの間にも知られるようになりました。後に当時有名な作詞家であったネッド・ワシントンが詞をつけ、 エラやナンシーなど、多くの歌手に歌われるようになったのです。もともとはジミー・ドーシー(トミー・ドーシーの1才上の兄)楽団でヒットした曲でしたが、ジャズの帝王、 マイルス・デイビスが58年に取り上げてからはジャズのスタンダードとして認知され、多くのプレイヤーがこの曲を演奏するようになりました。
マイルス自身は何回かこの曲を取り上げているのですが、なかでもプラグド・ニッケル≠ナのライブは最もスリリングな演奏として注目を集めました。 しかし、何といってもこの曲の本命はピアノ・トリオにあるという声が多いのも否めません。なかでも、ビル・エバンス(『GREEN DOLPHIN STREET』)、 ウィントン・ケリー(『KELLY BLUE』、オスカー・ピーターソン(『VERY TALL』、『THE SOUND OF THE TRIO』)あたりの演奏が定番扱いされることが多いようです。
他にはエリック・ドルフィーやデューク・ジョーダン、ケニー・ドリューなどの演奏も見逃せないところですが、ボーカルに関しては意外に少ないのに驚きました。 ビル・エバンスが大ファンだったというユダヤ人ジャズ歌手、モーガナ・キングなど色々な人によって歌われているはずなのに、今この曲をボーカルで聴こうとすると エラ・フィッツジェラルドとかナンシー・ウイルソンぐらいしか、少なくてもCDショップの店頭では見つからないのです。 実は今日、地元の比較的大きなCDショップに行ってきたのですが、色々探してみてもエラとナンシー以外ではあと1人だけしかこの曲を歌った歌手はいませんでした。
で、最後に帰ろうとした時、たまたま日本人のジャズ歌手のコーナーに「小林桂」のアルバムが何枚か並んでいたのですが、その中の1枚に『So Nice』というのがあり、その中でなんとこの曲が入っているではありませんか。「小林桂」なる人物が何者なのかという知識を全く持たないまま、何となく期待できそうな 予感みたいなものを感じ、このアルバムを買ってみました。ジャケットの解説で岩波洋三さんが「日本にようやく本格的なジャズ歌手が登場した」と書かれていましたが、ハスキーでクールにスイングする歌い方は確かに素晴らしく、将来は日本のジャズ界をしょって立つであろう資質のようなものを感じました。
Green Dolphin とは英仏海峡に面したイギリスの小さな港町の名で、原作はそこに住む旧家の姉妹と一人の男の恋物語を描いた映画。「ある日、このグリーン・ドルフィン・ストリートで恋に落ちた。ここを通る度、思い出されるあのときめき…」という歌詞について小林桂は、『恋に落ちると、どんな地名でも、通りの名でもなんでも、詞になってしまい、曲とコードがつくと、そのコードの流れに、恋をするのがボクだ。繰り返されるラテンのリズム・パターン。蜿々と続く道みたいだ。』 というコメントを寄せています。感性もみずみずしいものを持っている人だと思います。
PHOTO PRESENTED BY RYU YAMAZAKI
Ryu's Photo Gallery 【DEEPBLUE】
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