I Remember Clifford
I know he'll never be forgotten
He was a King uncrowned,
I know, I'll always remember
The warmth of his sound
Linger so long, I'm sure his still around
For those who heard, They repeat him yet
So those who hera won't forget
The sound of each phrase
Echos a time uncountable by days
The thing he played, are with us now
And they'll endure should time allow
OH yes,I remember clifford
I seem to alwayas feel him near somehow
Everyday I hear his lovely tone
In every trumpet sound that has a beauty
All it's own, so how can we say
Someone so real has really gone away
I hear him now, And always will
Believe me,I remember clifford still
この曲、学生時代によくやりましたし、よく聴きました。とても好きな曲です。 クインシー・ジョーンズ楽団の演奏を元にしているのが多かったんじゃないかと思いますけど、若くして逝った天才トランペッタ-、クリフォード・ブラウンに捧げて、 ベニ-・ゴルソンが作った曲です。クインシーのバンドではクラーク・テリーのフリューゲルが何とも哀愁を帯びた美しい旋律を奏でているのが印象的ですが、 ディジー・ガレスピー楽団にいたリー・モーガンのトランペットの演奏の方が有名かも知れません。
クリフォード・ブラウンは1930年10月30日デラウェア州ウィルミントンに生まれ、13歳の頃からトランペットを始めました。 すでにハイスクール時代にはプロからも絶賛されるほど天才の片鱗を見せていました。一旦は大学の数学科に進みますが音楽への夢は絶ちがたく、 メリーランド州立大学に転籍し本格的に音楽を学びます。その頃にはフィラデルフィアのクラブでセッションに参加し、またたく間に天才ブラウンの噂は ジャズ・ミュージシャンの間に広がっていきました。
そんなブラウンが世を去ったのは1956年6月26日。なんと25歳という若さ真っ盛りの時、交通事故によるものだったのですから、 まさにこれから本格的に演奏活動をしようとしていた矢先の早すぎる死でした。
その時親友だったベニ-・ゴルソンが当時をこのように語ったそうです。
『月刊スイングジャーナル』(1982年5月号) その日、私たちはアポロ劇場で演奏していた。
演奏が終わって休憩となり、私たちはステージを降りた。そして休み時間が終わって、みんながもう一度舞台に集まりだした時だった。
ピアニストのウォルター・デイビスJr.が泣きながら舞台に駆け込んできた。そして、ウォルターはみんなに泣き声でこうふれて回ったんだ。
『聞いたかい! 聞いたかい! ブラウニーが昨夜死んだんだ!』ってね。その瞬間、舞台を歩いていたミュージシャンたちはみんな一瞬耳を疑った。
『オー、ノー!』と顔を手でふさいだミュージシャンもいたし、みんなその場に釘づけになった。『クリフォード・ブラウンが昨夜、自動車事故で死んだ!
ピアニストのリッチー・パウエルと夫人も死んだ!』 ウォルターは涙をポロポロ流しながらみんなにそう伝えた。私はいいしれないショックを受けた。
その場にへなへなと身体が崩れてしまいそうだった。あんなに素晴らしいミュージシャンが雨でスリップして、自動車事故で死ぬなんて!
その後、ゴルソンはブラウンのためにこの曲を作ったというわけなのです。後にジョン・ヘンドリックスが詩をつけて、カーメン・マクレエらが歌い、 マンハッタン・トランスファーが十八番曲にして、ボーカル・ナンバーとしても愛好される曲となりました。インストではリー・モーガン、アート・ファーマーなどトランペットのメロディーが多いと思いますが、テナー・サックスでもベニー・ゴルソンの他、スタン・ゲッツ、ソニー・ロリンズはじめバド・パウエル・トリオをバックにドン・バイアスがじっくりと吹いています。
それにしても、天才とはかくもあっけなくこの世を去ってしまうものなのでしょうか。はかない命とひきかえに多くの素晴らしい作品を残していったブラウン。 そのブラウンに対する敬愛と哀しみ、そして惜別の情が込められたこの曲は、鎮魂歌としてだけでなく、広くジャズのスタンダードとして 多くの人に愛され続ける曲となったのです。