Lazy Bird

lazy bird

ジョン・コルトレーンのブルー・ノート時代の唯一のリーダーアルバム「ブルー・トレーン」の最後に収められた曲。1957年9月15日、ニュー・ジャージー州 のヴァン・ゲルダースタジオで録音されました。メンバーは、ジョン・コルトレーン(ts)、リー・モーガン(tp)、カーティス・フラー(tb)の3管に、ケニー・ドリュー(p)、 ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)のリズム・セクションを加えたセクステット編成となっています。コルトレーンは当時プレステージレーベルと 専属契約を結んでいましたが、サイドマンとしてはすでに何枚かのブルーノート盤に名を連ねており、そうした延長線上にこのアルバムができたようです。

それより遡ること2年程前、マイルスは初めてクインテットを編成する際に、ソニー・ロリンズに呼びかけましたが断られ、やむなく無名のテナー奏者コルトレーンを雇ったのです。 このことがジャズの歴史を揺るがすような世代の交替になろうとは、当時は誰も想像だにしなかったことでしょうね。50年代の代表的なテナー奏者、ロリンズ。その後、60年代を リードしたのがこのコルトレーンだったのですから、歴史を創る運命的な足跡の不思議さのようなものを感じます。当時のコルトレーンはロリンズ・スタイルを踏襲するところからスタートした ようですが、徐々に自分のスタイルを確立し、この「ブルー・トレーン」は、俗に「シーツ・オブ・サウンド(音をいっぱいに敷き詰めたような奏法)」と呼ばれるスタイルに変わっ ていった頃の作品と言われています。以後数年にわたってコルトレーンの音の探求は休むことなく続き、1960年代にはインド音楽に影響を受けた前人未到の境地に達することにな りま す。






このブルー・トレーンという名前ですが、コルトレーンのあだ名が「トレイン」(常に前進してやまないというところからきているようです)で、つまり、ブルー・ ノートにブルー・トレインという作品をトレインが作ったというしゃれにもなっているようです。(ナーるほどね…)

 で、メンバーですが、まずはファッツ・ナヴァロ、クリフォード・ ブラウンなきあと、ジャズ界の期待を一身に背負ったリー・モーガン。当時まだ19歳という新進気鋭のトランペッタ−でしたが、わずか18歳でディジー・ガレスピー楽団にデビューし、 あっという間にトランペットの第一人者として認められるようになりました。ちょうどその頃の参加となっています。

またカーティス・フラーはJ・J・ジョンソンと並ぶモダンジャズ界 最高のトロンボーン奏者。ハード・バップを語るのにフラーを避けて通ることは出来ないでしょう。当時23歳でミューヨークに出てきたばかりですが、メキメキと頭角を現してきた頃です。 それにリーダーのコルトレーンが加わって3管を自在に吹きまくる様子は、まさにブルー・トレーン(寝台列車)が闇夜を疾走するがごとくにスリリングでグルービーな演奏であり、これぞ ハード・バップと呼ばれるにふさわしいものでしょう。

もちろんリズムセクションだってスゴい。マイルスのコンボでコルトレーンの同僚である神童ポール・チェンバース、フィリー・ジョー ・ジョーンズに加え、バッド・パウエル系の名手として知られたケニ−・ドリュー。これでは初めてリーダーを務めるコルトレーンも張り切らざるを得ないでしょうね。この「ブルー・トレーン」のアルバム、全部で5曲集めたうち、この 『LAZY BIRD』をはじめ4曲がコルトレーン自身の作品であり、コルトレーン初期の代表的なアルバムとなっています。

 









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