Left Alone



Where's the love that's made to fill my heart?
Where's the ant from whom I'll never part?
First they hurt me then desert me I'm left alone all alone
There's no house that I can call my home
There's no place from which I'll never rome
Town or city it's a pity I'm left alone all alone
Seek and find they always say
But up to now it's not that way
Maybe fate has let him past me by
Or perhaps we'll meet before I die
Heart will open but until then I'm left alone all alone




マル・ウォルドロン
といえばすぐに「レフト・アローン」とか「オール・アローン」が思い出されるくらいに代表的なアルバムのタイトル曲です。 ビリー・ホリデーが作詩、マルが作曲し、1960年に録音されました。残念ながらビリーは録音の前年に亡くなり、彼女の歌を聴くことは出来ませんが、この曲の主旋律を吹いた アルトのジャッキー・マクリーンの泣かせるソロは感動的です。このアルバム、実はビリーの晩年の伴奏者であったマルの、ビリーに捧げた追悼曲とも言われています。 その最後にマルのビリーに対する気持ちがインタビューで収録されていますが、それによると、マルは、「彼女からフレージングの重要さを教わり、演奏に際しても、歌詞の 意味をよく理解することが大切だと言われた」と語っています。最後にマルは、「ビリーの人生は、決して幸せなものではなかったかもしれないが、彼女自身は、非常に心の 温かい人であった」と続け、「このアルバムをビリーの魂に捧げて、その冥福を祈りたい」と結んでいます。






この曲、「とり残されて」と訳している歌詞が多いようですが、ビリーの晩年に作られたもので、ビリーのこれまで辿ってきた数奇な運命に翻弄された自分の人生を振り返るがごとくの重み≠感じさせます。また死因となった麻薬による心身への影響などを考え合わせると、永年に渡って求めつづけてきた『愛』とか『心の安らぎ』とかいったものを手に入れることなく人生の終焉を予感した哀しみ≠感じさせるような気がしてなりません。かつてブルースの女王∞史上最高のジャズ・シンガー≠ニいわれたビリーの波乱に満ちた人生。その人生を総括するようなビリーの心の叫びが、最後の自分のパートナー、マル・ウォルドロンの手によって自分への追悼の曲となったのではないでしょうか。

Lady Kim
ビリーによって歌われることのなかったこの曲ですが、彼女に憧れ、彼女の生涯を描いたミュージカルでビリー役を演じた人がこの曲を歌っています。米国の新進ボーカリスト、レディ・キム。彼女は幼い頃から歌手を夢見ていましたが、17歳で映画「ビリー・ホリデイ物語」を見て以来、ビリーが目標になったと言います。「人生の悲しみ、切なさを彼女ほど聴き手に共感させる歌手はいない。どんなにハッピーな歌を歌っても、その裏に潜む悲しみを感じさせてしまう。その人ならではと認められる個性を持つことは表現者の目標だと思う」と語っています。大学時代に小さなライブハウスで歌い始め、レゲエやR&Bのバンドなどで活躍。2001年、ビリーを題材にしたミュージカル「レディ・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル」の主役を演じ、NYのオフ・ブロードウェー始め全米各地で「ビリーの再来」と話題になりました。そういえば容姿も声も歌い方も似ています。ビリーが亡くなって半世紀近くが経ち、ようやくビリーが歌いたかったこの曲を、この人の声を通して歌っているような気がしてなりません。








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